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シーシャとは
「シーシャとは何か?」、周りの人に尋ねてみてください。
するとおそらく、ある人はその構造や作る過程を、ある人はその名前の由来を、
ある人は物理学や化学に医学といった科学的知見をもって、またある人は数百年、
もしくはそれ以上前から続く歴史や文化といった側面からシーシャについて答えることでしょう。
それに、“人”と“空間”とのつながりのなかに“シーシャ”の定義を見出す人だって…。
シーシャの構造、作る過程の部分をここでは簡単に説明しよう。
シーシャを吸う為にはフレーバーを用意する必要がある。
フレーバーとは主に、タバコの葉を小刻みにカットし水に浸して洗浄したものを、シロップ、
あるいは糖蜜に漬け、香料や着色料などをつけ味付けした、いわゆる「シーシャの味の素」です。
このフレーバーをボウル(ハガル)に詰めます。ボウルには粘土製や陶磁器のもの、
ガラス製にシリコン製など素材の違いがあって、熱の伝わり方など各種特徴があり使い分けられます。
ボウルの上に熱せられた炭を置くことでフレーバーを温め燃やし、その煙はフルーツやスパイスなどの
豊かな味わいをもってステムをたどり“水のフィルター”をくぐり抜けて、
皮(レザー)やシリコン、プラスチックでできたホースから吸い手の口へと伝わっていくのです。
“水のフィルター”と強調しましたが、ではなぜシーシャではわざわざ煙を「水に通す」のでしょうか?
シーシャ文化黎明期当初(16~17世紀)より俗説的に、水に通すことで「煙を冷たくする
(ことによって味を引き立てる)」、「衛生的によくする」「不純物を浄化する」
ことができると考えられていたからです。実際ニコチンは水溶性を示すため、煙を水にくぐらせることで
ある程度の浄化作用は働いているのではないかともいわれています。
「味を楽しむ」シーシャという嗜好品、その属性をより安全に、純粋に楽しむために採用された方法が
煙を「水に通す」というものだったのです。
今シーシャの構造、科学を紹介したことで、「シーシャとは何か?」という問いに
答えることができたのか、おそらくまだ答えられてはいない。
科学というものは結局「歴史」や「文化」といった土台の上にしか成り立たないものであり、
これらを無視した科学は机上の空論である。
基盤としての歴史や文化、シーシャの正体はここを紐解かないかぎり全貌を現してはくれまい。
シーシャの歴史
シーシャを指示する数々の名称、これも「シーシャとは何か?」に答えるための重要な見方のひとつです。
そしてこの名称の由来を探るなかでシーシャの辿った歴史を無視して進むことはできないのです。
シーシャの特異性、シーシャという属性、定義がより浮き彫りになろう…。
日本ではシーシャは「水たばこ」や「水煙管(パイプ)」とも呼ばれ、
英語圏でも(学術的には)“waterpipe”と記載される。こうした“pipe”というワードについて、
シーシャの紛れもなくパイプ文化の産物であり、ひとつのパイプの形態であるといえよう。
15世紀以前よりアフリカ大陸に存在していた、カモシカの角などに水を入れ、
水に混ぜることで浄化させた煙を嗜むというパイプ文化がシーシャの起源のひとつとなっているのです。
大航海時代が幕開け、アフリカ大陸も新大陸とヨーロッパ世界を結ぶ三角貿易の一地点として巻き込まれた。
その際新大陸よりタバコ文化がもたらされ融合し、
アフリカ大陸東岸ではココナッツの中身をくりぬいてそこに水を貯め、
カモシカの角などより一層効率的で簡易に喫煙できる構造なども試行されていった。
これと同時期ほどに、インドにおいてもココヤシの実を用いた喫煙方法が存在していたといわれる。
現代でもトルコなどではシーシャは一般に“nargile”と呼称されるのだが、
これはペルシア語で“nargileh”つまり「ココナッツ」を意味するのはこの原始的なシーシャの構造に由来しているのです。
17世紀初頭にはすでにインドにおいても一般には“nargile”の名で通用していたシーシャであるが、
インド北部を支配していたムガル帝国では“hookah”の呼び名が一般的であった。
現代アメリカなどでは“hookah”の呼称が“shisha”より浸透しているが、
これは17世紀に、ペルシアで“より効率よく水と煙を冷やして継続させるため”に
ガラス製のシーシャが開発され広まっていった歴史が反映されている。
すなわち、ペルシアではシーシャの普遍的な呼称として、
宝石など貴重品をしまう小箱を意味する“hookah”を採用したのです。
ペルシアはまた自国のシーシャを他地域のシーシャと区別するために“kalian”と呼んだ。
ちなみにシーシャ(shisha)という呼称は、
この新しいシーシャの素材である「ガラス」を意味するペルシア語“schische”に由来しています。
ペルシアではオスマン帝国との戦争を通して、タバコ文化が流入するに至ったという経緯がある。
トルコにシーシャ文化が伝わったのはこの逆であった。
ペルシアを現代に伝わるシーシャの起源地とするなら、シーシャの文化としての起源地はトルコであるともいえる。
宗教的影響もあり、居酒屋のような民衆が集い2~3時間語り合う場所が発生しにくかった時代、
シーシャはその場所としてトルコに浸透し文化として根付いたのです。
こうしたシーシャ文化はエジプトにも伝わった。
エジプトは現在までの2~300年間一度もシーシャ文化が断絶することなく続いており、
オールドスタイル(初期の様式)をもっとも保っている国である。
1988年、エジプトのNAKHLA(ナハラ)社は世界ではじめての味のついたフレーバーを販売し、
アメリカ、ロシア含む世界各国にシーシャを再発信するに至った。
日本にもその波が及んで今にいたるが、ここまで世界各地の人々を魅了するものとは一体何であるのか。
シーシャの魅力
エジプトやトルコではシーシャを吸うとき肌身離さずホースを握り続けているらしい。
隣の誰かとの話を肴に、ひたすらに習慣として、
文化として染み付いた「シーシャという時間」「シーシャという空間」に浸るのだ。
日本全国のシーシャ店を回っていると、仕事をしながらシーシャを吸う、そんなお客さんをよく見かける。
シーシャのホースを傍らに置いて、本を読みながら、パソコンに文字を打ち込みながら、資料を作成しながら、
オンライン会議をしながら、電話に追われながら…、落ち着いたらホースを手に取りシーシャを吸う。
焦った心を休めて、身体を落ち着ける。がむしゃらに働かしていた頭に休息を、何も考えずに疲れを癒す。
ある人は言った、「日本人はシーシャに向いていない」と。
「日本人は忙しい」、その忙しさはシーシャという存在に相反するものなのかもしれない。
またある人は言った、「日本人は常連にならない」と。
海外では「客の98%が常連」らしい。
常連とは“家族”と同義語、毎日毎日来る日も来る日もそのお店に足を運ぶ。
まるで心落ち着く家に帰るように。
日本のシーシャの形、そしてトルコやエジプトのシーシャに共通するもの。
日本人は確かに忙しい。多くの人はお気に入りのお店ですら毎日通うことは厳しいかもしれない。
それでも彼らは再びお店に足を運ぶ、シーシャを吸うために。
ホースを2時間持ち続ける余裕はないかもしれない、だがホースを手に取り煙を吸い上げ、吐く。
心も体も癒される至福の瞬間に、それが一日のうちのほんのひと時にせよ、その瞬間に浸るのだ。
日本には様々な姿形、雰囲気のシーシャ店がある。
自分にあった空間を選べる。2時間、多ければ3時間以上滞在するかもしれない空間を探す。
ひとりの時間を楽しむもいい。誰かと語り合いながら吸うシーシャ、それもまたいい。
いつも出迎えてくれる家族に等しいみんなの声、「どうぞー?」「おはよー」、
その言葉をききにまた向かう、それもいい。
シーシャは人の心を癒し、温めてくれる存在、これは決して大袈裟でない。
人も人を癒せる、空間も人を癒せる。“シーシャ”、“人”、“空間”、この3要素がそろう、
その時シーシャはようやく本領を発揮する。
これは日本でも世界のどこでも、どの時代でも変わらず続いたシーシャの真理であろう。
あなたにもこれからシーシャを吸うとき考えていただきたい、「シーシャとは何か?」
この問いがより一層、あなたにとってシーシャを好きにさせるに違いない。